昭和49年12月15日 特別奉修委員



 フグの肝を食べさせますね、本当にそれを食べたら第一、他のもんが食べられんくらいにまぁお刺身やら、チリやらでそれやら白子なんか、塩焼きの白子をねもう本当に、珍しい食べさせ方をさせてくれるんですけれども。これが一つ間違うたら命にも関わるということですからね。いわゆる山海のと言うか、天下の珍味であるかと思うと、また命を奪うようなことにもなる。結局いかに料理の仕方と言うか、いわば第一水洗いと言われとりますけれどね。が第一かと言う事が分かります。
 そこの部屋に和動と言う、広瀬淡窓の書いた額が掛かってますね。「わ」というのは平和の和「どう」というのは動くという字。本当に和らいだ動きと言う事だと思うですね。例えば踊りなんか踊る方達の所作というのは、普通でも柔らか何ともなしに。やっぱ稽古をしているからです。だからこれが心の上に和らいだものを頂いておると、する事なす事の上にも言葉使い一つの上にでも、和らいだものが生まれる出来てくる。それが金光様の御信心の命ですからね和が。
 皆さんもご存知だったでしょう。椛目に藤原先生ち言うのが修行しよりました。この人は非常に霊徳の面では優れておりましたけれども、人間的には本当に、よう久保山先生と喧嘩する。荒木さんと喧嘩した時なんかは、荒木さんはあれが致命的でしたからね。荒木さんが包丁振り上げて喧嘩したそうです、私は知らなかったけど。その日誰かきて亡くなったんですからね。
 いかに腹を立てると言った様な事が、あぁいう結核の医者では助からないと言われたようなのが、おかげを頂いておったのが、腹かいたばっかりに途端に、そう言う事になった。だからそれと同じ健康の者の上にでも、腹を立てると言う事はそういう、人の命を奪う様な毒素が出てくると言う事体の上に。そういう意味合いでも、腹を立てると言った様な事が、いかにこげん馬鹿らしい事はないと言う事なんですね。
 ある時でしたけど何か、久保山先生が仰ったら、腹かいてから楽室の方にある障子を、ガチャーンち言わせちから、藤原さんが行きましたもん。それから後ろから「ちょいと、これは藤原さん、あんた何ち言う意味の」ちから、呼び止めてから、喧しゅう言われましたけどね。とにかく心がイライラしたり、腹が立ったりしておると、障子の開きせきにでも、それこそガチャッと言う様な事になってくるです。
 そすとそれを側におった者の、気持ちというものまでも、傷つけるわけですからね。だからいかに和らいだ動きと言う事が、大事かと言う事が分かるです。しかもそこには、日頃腹を立てなかったり、またはイライラせんで済んだりするようなおかげを頂くためにも、和らいだ心が必要ですけれども。和らいだものが動きの上にも、現れると言う様なおかげを頂きたいですね。
 いよいよ明日の御大祭。今日明日また色んな婦人部の方々の御用がございましょう。そういう一つの中で、こんなこうこするごとしてする人がおったら、それで皆が傷つけられますからね。それこそ本当に何て言うですかね、花柳流の踊りでも踊るごたる、流れというか、そういう柔らかな動きがね、どういう忙しい中にでもなからないかん。急がしまぎれとか、腹たちまぎれとかと。
 どうしてもそっと置ける奴でん、ガチャンと置く。そこに茶碗でも割れる。そすと周囲の者が「何が腹立つの、そげな風にせにゃんの」ち言うごたる風に言いたくなってくる訳なんですよ。私は昨日和動と言う事を頂いて、和らいだ動きと言う事がね、努めとるだけでは出来ません。矢張り心が和らいどかなければ出来ません。取り分け婦人の方達は、和らいだ動きが、本当に大事じゃないかと思いますね。